多くの方が、近くの相談機関へ行って、ご相談されたことでしょう。そこでは、「とりあえず休ませてあげてください」「待ってあげてください」「子どもの望むことをしてあげてください」そう言われたかもしれません。
但し、相談機関で教えてくれることは、カウンセラーの技術の一部です。
親の役割は、カウンセラーになることではありません。
不登校の子どもに限らず、子どもたちは未完成で未成熟です。しかし、逆に言えば、それは多くの可能性を秘めているということです。親の役割は、その可能性を引き出して、伸ばしていくことです。ただ未完成である子どもに、子ども自身の人生を任せて待つことではありません。
迷宮に迷い込んでしまったときは教えてあげないといけませんし、間違ったことをしたときは叱ってあげないといけません。もちろん子どもを信じて待つことは大切なファクターです。それは、それが子どもの所有すべき問題であり、それを子どもが気づける状況があることが前提です。子どもが自分の可能性を信じて努力をしているのであれば、それが失敗に終わるとわかっていたとしても見守ってあげなくてはいけない時もあります。失敗したときにいかにそれをフィードバックさせてあげて、落ち込ませるのではなく前向きに失敗と向き合えるようにしてあげることが大切です。「非難」は何も生み出しませんが、叱ってあげて何が間違っていて、次にその間違いを避けるためにどうするべきかを子ども自身に考えられるようにしてあげることが大切です。
<受容>や<批判を避ける>ことなどは、子育てにおいてもとても大切なことです。
しかし、親はカウンセラーではありません。
学校生活、社会生活、人生において障害となりえる『アナ』は数限りなく存在します。ひとはみな大小さまざまな『アナ』をくぐり抜けながら前へ進んでいきます。ひとが前へ進めなくなるとき、それは『アナ』に落ちて出られなくなってしまった状態です。その『アナ』の大小の判断をする際、必要なのは「『アナ』に落ちた経験」です。落ちたことが無ければ、そこから這い出る能力も培われませんし、それがどの程度危険なのか自分では判断できないからです。
しかし、子供にはできるだけ『アナ』には落ちて欲しくないと考えてしまうのが親心。ついつい『アナ』を子供より早めに発見して、落ちないように警告してしまいがちになるものです。かといってすべての『アナ』を見つけてあげるというわけにはいきません。もし『アナ』に落ちた経験が不足した子供が思いがけずに『アナ』に落ちてしまったらどうなるでしょうか。その子には『アナ』を這い出る能力は養われていなのですから、出てこられない可能性があるのではないでしょうか。
ひとの生きかたはさまざまで、『アナ』と見れば落ちてしまうようそんな不器用に見えるようなひともいれば、『アナ』をうまく避けて生きていて器用に見えるひともいます。しかし、不器用に見えるそのひとは『アナ』に落ちても這い出る力があるので、その経験から『アナ』を見つけ避ける術をいつか身につけるチャンスがあるでしょう。逆に、器用に『アナ』を避けることができていたそのひとは、いつかは『アナ』に落ちてしまうかもしれません。『アナ』に落ちた経験が少なく這い出る力をつけていないそのひとは、唯一1度『アナ』に落ちたことによってもう二度と前へ進めなくなるかもしれないのです。親として『アナ』から逃げる生きかたを教えるよりも、『アナ』から這い出る力を身に付けさせてやりたいものです。
本当に子どもに必要な親とは、自立して社会適応すること、自分の力で生きていける術を教えてくれるそんな親です。親は子より長く生きることはできません。「子育て」とは、保護し守ることではありません。いかに自分たちなしで生きていけるようにしてあげるかということです。
続き[不登校の親がすべき事]を読む。
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